■ミュージカルの音楽っていうのは
○笑顔にさせる音楽
世の中にはいろんな音楽があります。
「泣かせる音楽」「格好いい音楽」「技術を見せつける音楽」「壮大な音楽」「共感させる音楽」「ファッショナブルな音楽」…その他いろいろありますが、ミュージカルの音楽というのは「笑顔にさせる音楽」と言えるかもしれません。
ミュージカルはもともと「ミュージカルコメディ」と言っていたものなので「笑い」との結びつきが強いエンターテイメントです。最初に例に挙げた音楽のいくつかはそこに「笑い」の要素が入ってくれば「だいなし」になるものがたくさんあるのに対して、ミュージカルの音楽の多くは「笑顔」がしっくりくるテイストのものが主流です。ミュージカルの音楽が流れると、そこには自然と笑顔で踊るパフォーマーや、笑って舞台に見入る観客の姿が想像できます。そういう「笑顔が浮かぶ瞬間」というのは、ちょっとした人生の幸せと言えるかもしれません。
ただし、人によってはミュージカルの音楽に含まれる「楽観性」みたいなものが、「極めて不快」と感じられることもあるかもしれません。「なに笑ってんだ!世界はもっとシリアスであるべきだ!」という人生観だってそれはそれで認められるべきです。
「笑顔」というのは子供の頃には放っておいても自然に出てくるものですが、大人になっていろんな事情に囲まれてくると普通はそうそう湧き上がってはこなくなります。ほとんどの場合、人生は怒りや不安、焦燥といったネガティブな感情に支配される局面のほうがはるかに多いからです。だから「笑顔」を生み出すには、「なんとか生活をしのいでいく」ための気持ちのやりくりに、ちょっとだけプラスした「余裕」のようなものが必要です。
そういう意味では「笑えている」人というのは、いっぱいいっぱいのところに、ちょっとだけ「前向き」な何かを足していけている人だと思います。思うにミュージカルの音楽に含有させる「笑顔方向」へのベクトルが、聴いている人の気持ちにすっと入っていくかどうかというのは、その人の向いてる方向を探る良い試金石のような気がします。
○ダンスありきの音楽
ミュージカルの音楽というのは「振付があってなんぼ」です。
もしも、マイクの前に立ってただ歌っているだけなら、大ブーイングが起きるでしょう。
ダンスを前提にする以上、動きのきっかけになるような音楽上の仕掛けがたくさん仕込まれることになります。またダイナミクスやテンポの変化も積極的に活用されます。
普通のポピュラー音楽に合わせて踊ることもできますが、それはおそらく踊っている本人ほどは、見ている人には楽しんでもらえないものになる可能性が高いです。「餅は餅屋」です。ダンスを見せるにはそのための音楽が必要なのです。
必然的にミュージカル音楽は、アレンジャーが知恵を尽くし、変化に富んで情報量の多い「ドラマティック」な作りになります。
フレッド・アステアやジーン・ケリーは決して、ずば抜けたシンガーではありませんが、彼らの残した録音が今聴いても楽しめるのは、アレンジャーさんの苦労まで「こみ」の情報量の多さによるものでしょう。
クラシック音楽も多くがダンスのための舞曲を起源として大きく発展したこと、また「バレエ音楽」のフィールドでは「くるみ割り人形」のような傑作が数多くあることなど、おそらくそれらの優れた作品が生まれた背景には「良いダンスを披露したい」という要求が大きく貢献していると思われます。
バレエ音楽にしても、ミュージカルの音楽にしても、そういう「ダンス」のために頑張って作られた音楽には「音だけ」聴いても人に感銘を与える力が宿ります。
おそらくそれは「頭」で作った音楽の構築性と、「身体」で表現するダンスの身体感覚が、強い必然で結ばれたことによるものでしょう。
○ミュージカル音楽作家の受難
ミュージカルの音楽というのは、他の音楽のフィールドに比べてかなり匿名性の高い音楽です。
ミュージカルを見に行くとき、ほとんどの人は「作曲家」や「編曲家」ましてや「指揮者」や「オーケストラのメンバー」を気にしません。
結果的にそれが「リチャード・ロジャース」や「ジョージ・ガーシュイン」の作品であったとしても、それは<たまたま>見たい舞台の作曲家がそうだった、というだけなのではないかと思います。
でも、だからといってミュージカルの音楽が他のフィールドに比べて「いい加減」に作られているかというとむしろ逆です。それは分厚い職人的な技巧と良心に支えられた「エンターテイメント」のための「ずば抜けた性能を与えられた製品」です。
ギリシャ・ローマの美術作品や、日本の中世以前の仏像には、作者のサインや銘はありません。そこには「作家性」というようなものが必要とされない風土がかつてありました。
だからといってそれらの作品の価値が低いかというと、そういうことはまったくなくて、多くの作品にはすべての人を納得させる完成度、足腰の強さがありました。
むしろ、近代以降、「作家の個人性」が全面に出た作品は、どこかひ弱で「頭で作った」風が色濃くなっていくのと対照的です。
音楽に目を戻しても、クラシック音楽にもかつてはそういう「誰もを納得させる性能」を持たせられた時代があったろうと思います。
ですが幸か不幸か近代以降、「個性」とか「オリジナリティ」のようなものが重んじられるようになって、聴衆はその作家性に「我慢してつきあう」ことが求められるようになりました。
また、その一方、20世紀後半からのレコードや再生技術の進歩が音楽を極めて個人的なものに変えたことが「劇場での高揚感」を前提にした音楽を遠ざけていったという事情もあります。ポピュラー音楽ではヘッドフォンで聴いたときに「丁度いい」そして、「自分のために歌っている」と思えるような音楽が求められてきているわけです。
話が戻りますが、「ミュージカルの音楽」にはそういう「作家性」のような「ひとりよがり」ぶりを排除した問答無用の「楽しさを実現できる性能」が与えられています。
足を運んでくれた人に必ず満足を与える、そういう目的のもとに知恵と経験をふりしぼって構成されている、そういう音楽はもはやミュージカルのフィールドだけに残っているのではないかと思います。
…とまあミュージカルの音楽についての雑感を思うままに書きました。
「シーサイドシアター」の毎月第一週ではそういう楽しさをたっぷりと凝縮してお送りしています。「ミュージカルの音楽ってこんな楽しんだ!」と1人でも多くの方に思ってもらえることを目指しています。是非、お耳を拝借できれば幸いです。